wuenoの日記

~308号室から憂いを込めて~

日本の西側で炊き込みご飯が嫌いだと叫ぶ。

かやくご飯について思うところがある。

そもそも、かやくご飯で伝わるのだろうか。

 

炊きこみご飯のことを関西ではかやくご飯というらしい。

つまり私は関西の人間であるが、それはこの話においてはどうでもいい。

 

この国は関東基準で考えられている節があるので、以下、炊き込みご飯で統一しよう。

なら、最初から炊き込みご飯と書けば良いだろうと思うだろうが、生憎私は関西人なので、そこは主張したいと思ってしまう。

 

では、本題に入ろう。

炊き込みご飯が好かれているのがとても気に食わない。

白米に勝てるわけでもないくせに、何しゃしゃり出てるんだと思ってしまう。

 

そもそもご飯の中に具が紛れ込んでいるのが、私には無理だ。

米の食感の中に、具の食感が入り込むあの異物感がたまらなく苦手だ。

 

それに白米はおかずの味の濃さを中和する役割を担っている。

これは白米にしかできないことで、この上なく名誉なことだと思う。

なのに、その名誉を傷つけてまで、炊き込まれて主役になろうとしてくるのはどういう神経をしているのかと心配になる。

 

イメージとしては、地味な人が急に金髪に染めてきたときにでる「どうした」と言ってしまうあの感じに似ている。

しかし炊き込みご飯はしたり顔で、今日もその地位を築いている。

 

赤飯はまだ許せた。

古い人間がトチ狂って、祝い事だと赤く染めたご飯だから仕方ないと割り切れた。

だが、炊き込みご飯は意味もなく炊き込まれる。意味もなく炊き込まれ、純白を失う。

それが許せなかった。

 

多様性が求められる時代。米にもそれがあって良いじゃないか、そう思う時もあった。

しかし、この気持ちを墓場まで持っていけるほど、私はできた人間じゃなかった。

そう、面倒くさい人間なのだ。

 

こうして今日も、私は家族から「面倒な奴」という烙印を押され幕が下りる。

 

 

数分のバカンス

今週のお題「何して遊ぶ?」

 

日の光が届かなくなった時間あたりで、「今日何もしてないな」って自覚する。

休みの日の夜はどうして寝ることをもったいなく思ってしまうんだろう。

日が落ちることには無関心なくせに、夜が明けることには抵抗を見せる、これほどナンセンスなことはない。

 

等しく与えられた24時間を満足に活かすつもりもないくせに、眠りにつくほんの2時間ぐらいはバカンスを楽しもうとする人の気分になる。

どうせロクなことはしない、しても非生産的なことをするだけなのに。

何かをしようと思うことも、数秒後には何もなかったかのように言う「まあいっか」

そして何かをした証を残すためだけにこんな虚しい文章を書いてる。

 

今日のバカンスに終わりが近づいていることにはうすうす気づいている。

でもいたずらに引き伸ばし、今日を見送るまで終われないと息巻く。

 

あとちょっとのバカンスを楽しもうと思う。

 

そのものさしで私を抉ってみせて

私はつい先日、15年来となる友達の縁を切った。

 

縁を切った理由としては、好きだった友人が自分の中で死んだからだ。

 

「縁を切る」と言えば、大層なことに聞こえるが、実際には着信拒否なりブロックなりするという指先一つで済む簡単なことだ。

 

たったそれだけのことで縁が切れる、便利な世の中なのか、それとも私が薄情なだけか?

 

そんな理由で「長年の友達の縁を切る」ということは、人によっては私を薄情だと思うかもしれない。

 

だが、誰かのものさしの正しさは私を苦しめるだけで、それで咎められても私は良い。

 

誰かにとっての正しさを探すよりも、自分にとっての正しさを選択することが人生で大切なんだなと思う。

 

 

ウェルカム・トゥ・目無しと呼ばれた私

今週のお題「わたし○○部でした」

これは「目無し」と呼ばれた私の認めるまでの物語。

 

 

 

 

高校生の頃、私は「目無し」というあだ名だった。

言葉の通りの意味で私は目が小さい。

 

自分の似顔絵を描く際に普通に目を描くと、「自惚れんな!」ってツッコミを入れられ、目を消され、私の目だったものはたちまち棒線に変わる、そのぐらいだ。

そこまでかなぁって自分では思ってた。

 

話が反れたが私はバレーボール部に所属していた。

いつだったか中学生との交流試合があり、審判をすることになった。

 

私は何の気なしに審判をしていたのだが、中学生側の笑い声が絶えない。

別に中学生側のチームが得点を取ったわけでもなく、かと言って優勢なわけでもないのに盛り上がるその様に少し気になっていた。

 

耳を澄ますと、、、

 

「あいつ目開いてないのに何で審判できるの」とか「ナイスジャッジ、目無し」という声が聞こえてきた。

 

どうやら私が笑いの元となっていた。

私は少しの抵抗を試みたが、

目を強く開けど、何も変わらぬ様子に中学生はより一層笑ったという。

その日初対面の年下の中学生たちに言われれば、さすがに私は目が小さいということを認めざるを得なかった。

 

その日を境に私は似顔絵を描く際の私の目は棒線で描くようになった。

おかげで美術の成績はたいそう低かったのはまた別のお話。。

 

 

大人たる地元自慢の仕方を考えてみた。

今週のお題「地元自慢」

 

地元自慢、無理難題じゃないか。

そりゃ調べれば何かしらはあるだろうけど、調べてドヤ顔するほどの図々しさは持っていない。

あえて言うなら、ご飯屋が色々あるのと大きいスーパーがあるぐらい。

でもそれを人に自慢しようものなら都会人に鼻で笑われるのがオチだ。

 

そもそも誰が自慢話なんて聞きたいんだ。

ましてやその自慢が地元の話だし、たいがいの人が知らねぇよって思うだろう。

私だって盛り上がりたいよ、地元自慢で。でも、ねぇんだもん。

都会でも田舎でもないどっちつかずだし、イジりようがないし仕方ないじゃないか。

 

とまぁお題にケチをつけて愚痴るのも大人げないので、大人ぶって絞り出した自慢を言おうと思う。

 

私の地元自慢は住みやすいところだ。

近くにはご飯屋もあれば、スーパーやコンビニもあるし、街灯も程よくあるから夜道でも歩きやすい。

かと言って、都会でもないから人も多いわけでもないし、田舎というには少し栄えすぎているし、ちょうどいい住みやすさだと思う。

 

誇れるほどのものはないし、自慢できるほどのものもないけど、ありふれた日常生活をくれる地元が私は好きだ。

 

この大人ぶった対応の地元自慢で許してほしいし、頑張った方だと思う。

 

 

P.S.正直、愚痴の部分は尺稼ぎでした。

 

ドラえもんの四次元ポケットみたいなカバンが欲しいなって。

今週のお題「カバンの中身」

 

カバンの中身を書くなんて、恥部を見せるようなものではないか?

ドラえもんの四次元ポケットのように必要に応じたものが出てくるカバンに憧れるが、中身を知ってしまうと少し興ざめしてしまうと思う。

知らないままの方が良く見えることもあるのだ。

 

そして、こんな前振りを読んでいる時点で興ざめしているであろうところに、私は嬉々として恥部を見せる、完璧な流れだ。

 

私は必ずボディミストをカバンに忍ばせている。

誰かにすれ違う時に「良い匂いだった」と思われたい。そんな見栄のために忍ばせる。

たまにつけすぎる時もあるが、そういった時は「ごめん、フェロモンが抑えられなくて」と思う。

 

たいした内容でもない恥部をしり目にぬるっと終わる、これもまた完璧な流れだ。

カバンだけにたいした中身が入っていなかった、そういう話でした。

 

スマホは私の太陽だった。

今週のお題「マイルーティン」

 

ルーティーンと呼べるほどではないが、あえて言うならスマホいじりだ。

あらゆるエンターテインメントが詰まっているので、触らずにはいられない。

しかし、私はかっこつけてしまう悪い癖がある。

その悪い癖とは、電車に乗るときはスマホに目もくれず読書をしているのだ。

 

電車に乗って周りを見渡すとスマホいじりしてる人が多い。

自分がその他大勢になってしまうのはどうも落ち着かない。

なので、読書をしてインテリぶってしまうのである。

 

本当はスマホをいじっていたい。

でも、外では素直になれない。

周りが読書をしてくれたら、私は喜んでスマホをいじれるのに。

ダサいとは思うけど、その他大勢とはどうしても線を引いていたいのだ。

 

好きって言えなくて、ごめん。

そう思いながら、私は読書する。

本当はこんなネットの中ですら、私は素直にスマホが好きだと言いづらい。

だって、その他大勢すぎるから。

 

だから私は自分のルーティンをこう言わなくてはならない。

 

 

 

 

 

読書です。