織姫って、彦星に気を遣うのかな
ある七夕のこと…
この時期は梅雨が明けてなかったり、明けてたり微妙な時期で、その日は生憎の雨だった。
「今日、彦星は織姫に会えるかな」
私は空を見て呟いた。ハッキリ言って、こんな発言をしてる自分に酔っていた。
それを聞いていた相手は言う。
「は?」
単純明快な一文字で何と気の利かない人なんだと思った。
「雨降ってたら星とか出ないし、天の川渡れないし、せっかく一年に一度なのに…」
とやはり私は自分のファンタジーさに酔っていた。
すると相手は言う。
「雲の上だから、天気関係なくあいつら会えるよ」
後頭部を殴られた感覚というのはこういうことを言うのだろう。
ファンタジーに酔ってる時に付き合ってくれるのが、人間というものではないのか?
こいつにはロマンを感じる心がないのかと。
そんな私とは裏腹、得意げに雲の上だから天気関係なく星はあるのだと言ってやがり、私はもう黙れよと思った。
しかし、私はこの感情を噛み殺して言う。
「さすが、かしこい!」
織姫は彦星の機嫌を取るために気を遣うのだろうか?
毎日顔を合わせる奴にすら私は気を遣ってしんどいのに、一年ぶりに会った人に気の利いたことを言ってやれる言葉は私にはないのではないかと、何故か勝手に彦星と織姫の立場になって考えてしまう。
- そんなことを考えながらもドヤる顔を見て私はため息をつきながら、短冊に願いを馳せた。
男はケガを負いたがり、女は心を病みたがる
今週のお題「ケガの思い出」
趣旨とは少し異なるが、男女別でケガの思い出についての独断と偏見を思いついた。
男性は一生キズに憧れがち
昔がたきな感性なのだろうか?
何となく顔の傷に憧れを持ったり、一生キズ的なものを自慢げに語るような偏見がある。
痛かっただろうなという共感の姿勢を取ると、若気の至り的な痛いエピソードを語ってくる、それをステータスと思ってるでしょ?っていう私の偏見です、異論は認める。
女性は心の傷を背負いがち
男性は傷の見せ合いで盛り上がれるが、女性は心の傷の見せ合いで盛り上がれるのでは?
それはつらかったねという共感が一時的な絆創膏になったりっていう、これも私の偏見です、異論は認める。
でも安心してください、心の傷というのは向き合えば、きっと、人生の糧となるはずです。
こんな綺麗事がまかり通らない方もいるとは思うので、無責任なことはこれ以上言うまい。
以上が私が思う男女別のケガの思い出についての独断と偏見でした。
既出かもなぁ…
その煌めきが私は怖えよ
今週のお題「大きな買い物」
大きな買い物を私はしたことがない。
元来ブランド物に特別興味のない性格だからか、何万円もするバッグや服といったものを買いたいという欲求はない。
かと言って、お金をかけてどこかへ行きたいと思うこともない。
つくづくつまらない人間だ。
ただ興味が出たものには突発的にお金をかける。
何万円もかけて、というほどではないが、食指が動いたことに対してはお金をかけることへの抵抗は薄まる。
その気になれば、遊園地でさえ1人で行けると思うが、いかんせん食指が動かない。
昨今のSNSは私の劣等感を煽るものが多く、とてもキラキラしてるとはいえない人生だ。
そして何よりもせっかく数少ない琴線の触れることを次から次へと潰すのは、少し怖い。
興味が湧き、ワクワクする時間がなくなってしまう恐怖を感じてしまう。
せっかく興味が湧いたのに、ワクワクが終わってしまうと、またつまらない日常に戻ってしまうのではないかと。
世の中にはキラキラしようと必死な人が多過ぎる。もちろん、その方が後悔の少ない人生を送れるのだろうが、臆病な私には真似できない生き方だ。
憧れの正体はスメハラでした
今週のお題「好きなお弁当」
小学生から中学生までは給食だった私にとってのお弁当の歴史は高校生からが始まりである。
運動会とかはノーカウントで。あれは何だか特別感が出過ぎて、レギュレーション違反な気がする。
うちのお弁当は茶色で埋め尽くされた冷食を中心に組まれた編成だった。
もちろん、作ってくれているっていうだけでありがたいので、当時は思うところはあったが、今となっては感謝の念でしかない。
それを踏まえた上で、当時憧れていたお弁当があった。
それがカップ焼きそばだった。
念のため言っておくが、茶色が好きというわけではない。
何といってもあの匂いだ。特にUFO、あれは嗅覚を独占してくるぐらいに香ってくる。
視線を釘付けにするあの匂いは、私の茶色い弁当を無力化するにはいとも容易かった。
たしかに私の茶色いおかずたちも味は濃かったが、それを一蹴するソースの香りが私にはとてつもない憧れだった。
高校生では叶わなかったが、専門学生になった私はその憧れに手を伸ばした。
しかし、あの強烈な匂いとは裏腹に食べてみると、案外たいしたことはないことに気づく。
他人から発せられるあの匂いが美味しそうなのであって、食べてみると期待してたほど美味しいわけではなかった。
憧れは憧れのままで良かったんだろうな。
缶スープがおいしい季節です
今週のお題「スープ」
自販機でも色々な缶スープが出てきて、私は思うところがある
最近、ユッケジャンクッパっていう缶スープを物珍しさに飲んだのだが、味は美味しかった
しかし、お米が微量入っているのが、すごく余計ではないだろうかと思う
誰が望んであの微量のお米を入れてるのだろう?
雑炊の缶スープにも言えることだが、汁だけで良いんですよ
無理に雑炊準拠を守らなくても、我々は文句言わないよ
チルド商品なら、歓迎はするが、あの缶のサイズにそこまでの企業努力を求めてないよぉ
汁だけ飲めれば満足な身としては、あの余計なものはだいぶ不快感が生まれるのだが、、、
だがしかし、あれが商品化され確立されているということは、認めたくはないが私は少数派ということなんだろう…
世界征服にチャレンジしたかった時期が私にもありました。
今週のお題「チャレンジしたいこと」
チャレンジしたいこと、、、
お題のページに、一年が始まって半月経って、そろそろチャレンジしたいことができた人も多いのではないでしょうか的なことを書いてたけど…
そんなチャレンジしたいことを思いつくやつは新年を迎える前に思いついてるのではないだろうか?と少し斜めに見てる私がいる
思いつかないけど、別にいいやと思ってる
そもそもチャレンジしたいことって、難しくね?
目標って、結構標高高めのものじゃないと、チャレンジしてますって言うの難しくないですか??
私が人目を気にしてるだけなんですか???
例えば、私は黒豆が嫌いなのだが、それを好きになれるようにがんばりますって、今漠然と思ったけど、果たしてこれを「チャレンジしてますね!」って思えますか????
思える人はたぶん、幸せを掴み取る力のある人だと思うよ、でもだいたいの人は「へぇ」って思うだけのしょぼい目標じゃないですか?????
チャレンジっぽくないでしょ??????
ていう、自意識過剰が私をチャレンジから遠ざける
難しいね、生きるのって
明けましておめでとうを言いたくない
私は年末年始の「良いお年を」や「明けましておめでとう」を言うのが苦手だ。
年の瀬に言う「良いお年を」、今さら良い年もくそもあるか!そう思えてしまって、何か抵抗がある。
年始に言う「明けましておめでとう」、まるでお前が明けたかのような言い草ですね、勝手に明けるものなんですよ、めでたいですか?って思う。
流石に30年生きておりますので、ちゃんとそれは言いますとも、それが社会的慣習に基づいた礼儀というならばね。
そうして血反吐を吐きながら、私は言う。
でもLINEで挨拶する感じはできればやめてほしい。
既読スルーするのも、人としてなぁ。
もう子どもではないから、私は入力する。
明けましたね